2011年03月22日

体験してみないとわからない事。

昨日、東京の実家から初めて千葉の家に帰宅しました。

震災当日以来、私はミューと一緒に東京の実家に居候させてもらってました。
ただ、ずっとこの暮らしを続けていくわけにもいきませんし、余震や計画停電の
地域に入っている自宅では、この計画停電時にミューを11時頃から留守番を
させるにあたって、早めに帰るとしても定時ダッシュだとしても最低でも
18時になってしまう私なので、今日は自宅の片付けと停電がどんなものなのか
味わう意味、対策を考える為にも、仕事がものすごい忙しい中、恐縮なんですが、休んで自宅で一日過ごしています。

震災後に千葉の我が家の近くの町でも最近まで断水していました。
まだ断水している地域も市内にあるようです。
そんな中、計画停電までダブルで重なると、寒いわ、暗いわ、水でないわ、で
本当に心が暗くなると、その地域の友達からメールが来てましたが、その子も
最後の文面で、「でも、東北や北関東の人々と比べれば、そんな愚痴を
言ってちゃいけないよね」と書いてありました。
私も今までそういう気持ちで実家でも暮らしてきたつもりでしたが、
今日初めて計画停電味わってみて、その子の発言の深みがわかった気がしました。

そして、私が属する2Gは時間になっても全然計画停電が始まらない・・。
もしかして今日はうちの地域はないのかな・・なんて甘いことを思っていたら、
緊急地震速報が!!!結構揺れてる〜!!
結構大きい、ミューが吠えてるので抱きかかえてNHKにチャンネル合わせた
とたんに、、、バチン!!!!

はい、計画停電始まりました。。。怖顔(なに〜)

たかだか日中の三時間くらいで甘いと言われるかもしれませんが、マジ怖い、
今日みたいな雨の日だと、すげー寒いです。
もともとなんか温まりの悪い家なんですけど、いやーー寒い。

そんなかんじで、ちょっと光が多めに入ってくる二階にミューとあがって、
ここで過ごせば明るいよってことをミューに教えてたんですけど、伝わったか
どうか・・汗。
でも、もともとミューが留守番の時に日中メインで過ごしている部屋なので
停電が日中にきたら、この部屋にいてくれればいいなと思います。

しばらく二階の部屋で片付けしてたんですけど、あまりの寒さにもう無理と
思って暗がりでラーメン作って暖を取りました。
201103221.jpg
↑机の上のライトは妹が買ってくれた電池式ランタン。
ありがてー、マジで鍋の中すら見えなかったので、ライトちょー役に立ちました。

そんな中もまた余震でグラグラ・・・携帯で震度確認。今度は2ね。

最近眩暈なのかなんなのか分からない今日この頃です。

そして先ほど通電しました。
お帰りーーーー電気!!

そんなわけで計画停電を初めて味あわせていただきました。
201103222.jpg
ミューちんは毛があるせいで私ほど寒くはないみたいなので安心しました。

ただね、、余震の度におびえているので日中の留守番が非常に心苦しいです。
計画停電が夜になってる日には計画停電になってない実家が預かってくれる
そうなので、日中だけは我慢してもらわなければいけません。
そんなありがたい実家があるので、私は幸せなほうだと思います。
先週一週間、奴隷のように実家でコキ使われて、物資調達やら食事の準備など
イライラしたことも結構あったのですが、感謝しなくてはいけないと心から
思いました。

さらにおばあちゃんもママさんも元々体弱いし、今なんて精神的に
かなりダメージ受けてるみたいで、結構大変なことになってます。
でもこんな時こそ、前を向いて頑張っていくような方向に気分を持って
いかなくてはいけないなと心から思います。

計画停電の地域外に住んでいる人で、この災害を楽しそうに話している人が
会社にいます。
本人は電車が不通じゃなかった日に便乗休暇をしたり、先日、電力オーバーで
都内も大規模停電が起きるかもという日があったんですが、翌日に
「待ってたけど、停電きませんでしたー♪拍子抜けです。」
とか言ってたし、ガソリンがないとかスーパーに物がないとか計画停電の
話をしている時にでも、
「うちの近所は全然ありますよー、日ごろの生活と変わりません」とか
自慢げに話していて、、、絶句です。
そこであるある自慢したり、計画停電地域外なことを誇ってどうするんだと
思うんです。
むしろ、呆れてその人に非難とか注意する気も起きない私がいます。

支援や手伝いをしないのは、本人の自由だと思います。
ただ、自分がそれほどの被害を身体的にも、物理的にも精神的にも
受けていないのであれば、軽はずみな不用意な言葉で人を傷つけるようなこと
だけはしてはいけないと思います。
こういう時期だからこそ、普段は平気な言葉でも、言われて傷つく人もいると
思うのです。
それは実家の家族間でもそういうかんじで喧嘩になりかけたことがあったので
私も発言には心から気をつけたいと思っています。

被災地の皆さん、本当に大変だろうなと思います。
そして動物達は大丈夫なんだろうかと思うところはもちろんあります。

実家も大変なのでなかなか動けない自分がいるのですが、少しずつ、自分の
できること、真剣に考えたいと思います。















ニックネーム ishimin at 17:31| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月12日

地震ですが我が家は無事です。

久々のブログ更新ですが、我が家は無事です。
皆さんからメールを頂いたりしております、ご心配頂きすみません。
あんな大きな揺れ、生まれて初めてでした。

私はちょうど会社で仕事をしていたんですが、地震発生時はトイレの
個室にちょうど入ろうとしたところでした。
目の前が大きく歪んで、もうトイレどころじゃなく、トイレから
出て、廊下でしゃがみ込みました。揺れが随分続いたような気がします。
その後、また大きな余震がしばらく続いていました。
一人で留守番をしているミューが心配で心配で心臓の高鳴りが
止まりませんでした。
その直後から電話もつながりにくい状態に入り、誰の安否も確認出来ない
ような状態で、不安の中、茅場町のオフィスから、両国の実家まで30分かけて
帰宅しました。
電車はすべて止まり復旧の見込みがなく、道路は裏道まで大渋滞になり、
空車のタクシーもあるわけなく、バス停には来ないバスを待つ長蛇の列が
出来て、歩道には歩いて帰宅する大勢の人の波が出来てました。
なんか、その光景を見たら気分が悪くなって、余震の続く中、ものすごい
暗い気持ちになりました。

さらに父に頼んでミューを迎えに行くために車を出そうとすると、我が家の
タワーパーキングが地震で故障し、車が出せないことが発覚し、涙が
出そうになりました。
父が知人に頼んでくれて車をなんとか借りて、大渋滞する道を走り、普段は
高速を使えば20分もかからない道のりを3時間かけて千葉に帰りました。
ミューは居間の扉が地震で閉まってしまい、居間から出られなくなって
しまってましたが、無事で怪我もなく怯えていましたが、大丈夫でした。
そんなミューを抱き、数日の洋服を急いで詰めて、車に乗り込んで、
また2時間かけて両国の実家に戻りました。
本当は船橋で働く従兄弟のところまで迎えに行きたかったのですが、
電話もつながらず、道も大渋滞でまったく動けず、断念することになりました。
従兄弟は、無事避難所のようなところで夜を過ごしたようですが、不安で
泣いていたそうです。

夜中もずっと余震が続き、時に強い地震も起きています。

まだ連絡の取れない茨城にいる親戚もいますし、宮城や岩手はほとんど
連絡が取れないようです。

早く地震が収まってくれることを願って止みません。
皆さんの無事をお祈りします。

ニックネーム ishimin at 10:54| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする